空の半分が黄色に染まっている。
それをぼんやり見上げながら、カカシは首の後ろをそっと押さえた。なんだか視線が突き刺さっているようで、むず痒い。
今日は一日中そうだった。任務中も昼食中も訓練の間まで、ずっと。
その視線を送り続けてきている相手は、しかし、こちらが目を向けるとふいと顔をそらしてしまう。あとのふたりが気づいていないところで、いったい何度そのやりとりを繰り返したことだろう。こちらが気づいていることには気づいているのだろうに。
「おい」
やっと任務の終わった帰り際に、不機嫌そうな声に呼び止められた。
「先生に対しておいはないでしょ、おいは」
カカシが振り向くと、サスケが睨み上げるようにして立っていた。本人にそのつもりはないのかもしれないが、上目遣いがいやがおうにもそう見せている。
「写輪眼を見せろ」
「やだよ、って言ったらどうすんの」
サスケは何も言わずにうつむいた。断られるのはわかっていたのだろう。
プライドの高いサスケが断られるとわかっていてそれでも見せろと言うのにはそれなりの勇気が必要だったに違いない。それを、小さな舌打ちひとつでやり過ごそうとしている。
今話す気はないが、サスケには聞かれても仕方ないとは思っていた。いずれは話さなければいけないときが来るのだ。
サスケの方でも、要求を通すために駆け引きをすることも当然考えていたのだろうが、実際には「だったらなんでアンタが写輪眼を持っているのか聞かせろ」と言わない。
「自分には聞く権利がある」とは主張してこない。
今はその情報を引き出せないことをサスケもわかっているからだろうが、黙っているのは、それ以上に人の領域に無断で踏み込むようなことをするのがためらわれるのだろう。わがままに見えるけれど、自分の要求を通すためにわがままにもなりきれない。
結局は育ちがいいのだ。
カカシはそこまで考えると、つやのある黒い髪を撫でてやりたい気持ちになった。
サスケはまだ黙っている。
やはり子どもだからか、そうあっさりと欲しいものをあきらめることもできないのかもしれない。
目の前のこの小さな頭の中では、今この場で切り札を出すか出すまいか、葛藤しているに違いない。
黙ってうつむいている姿を見ていたら、自分がいじめているみたいで、サスケが少しかわいそうになった。
・・・こちらの罪悪感もあったかもしれない。
「そんなに見たいの」
承諾を意味する予想していなかったカカシの言葉に、サスケは驚いたように顔を上げた。
ぽかんと少し口を開けて、まっすぐに顔を見つめてくる。
これにはカカシも面食らってしまった。これくらいのことでこんなに喜ぶなんて、なんだか申し訳ないような気持ちすら起こってくる。
ぽりぽりと頭をかくと、
「いちおう企業秘密だから、誰にも言わないでよ?」
そう言って、サスケが返事をするのを待たず、カカシは人目につかなそうな木の上に跳んだ。
サスケもすぐに後を追った。
木の上は色づき始めてもまだ青みが強い葉の匂いと、夕方の冷たくなってきた空気の匂いがした。
額あてをずらすと、サスケをそばに招く。
だがサスケは躊躇したように、足を出しかけてまたすぐもとの位置に戻した。
その様子を見てから気づいたが、木の上はひっそり顔を寄せるには足場が狭すぎた。サスケの目線に合わせようと自分が幹に背をもたれかけさせて座ってしまったら、サスケの場所がなくなった。どうしたものかと、所在無さげに立っている。
しかし今さら場所を替えるというのもまぬけな気がして、しかたないのでぽんぽんと腿を叩く。意味がわからなかったのか、サスケはけげんそうな顔をした。
「ここに乗っていいよ」
「は?」
サスケは、さらに何を言っているのかわからないという顔をしたあと、意味に気づいてその顔が真っ赤になり、「ガキじゃねぇ!」と怒鳴った。
「そんな遠くから見るんでもよければ、こっちは別にかまわないんだけど」
うつむいたサスケの、チィ、と舌打ちをする音が耳に届く。それから覚悟を決めるように大きく息を吐くと、意外と遠慮のない態度でのしかかってきた。
「はは」
なに笑ってんだよ、と不機嫌そうに言ったものの、額当てをずらして出してやった左眼を覗きこむと、サスケはじっと動かなくなった。
ふぅっと柔らかい吐息が顔に当たるのと、熱心な視線がついでに肌についた傷の上をすべっていくのがわかるのとが、なんだかくすぐったい。
また笑うと、今度は「見えねえ」と苦情が来た。
「はいはい」
一生懸命見ているので、こちらも真面目に、視線を動かさないことだけに集中する。
サスケが何を見出そうとしているのか、想像できる限り追ってみようかと思ったが、すぐに目の前のサスケの左頬の柔らかなラインの方に興味は移った。
いくら男でも、これくらいの歳の子の肌はきめが細かいなあと感心する。さらにその向こうには形のいい耳があった。純粋に形だけを見れば、どちらも白くてあどけなくてきれいだった。
(産毛が日に透けてる・・・)
こんなふうに心がさざめくのはいつぶりだろう。懐かしいような焦るような複雑な気持ちの波が喉を絞めるような感じで苦しくなる。それを、以前との違いを探すことで紛らわそうとしたが、結局浮かんでくるのは柔らかさに触れたときの歓喜だけだった。
だが、触れようとする相手の手を遮ったのは、サスケではなく、カカシだった。
カカシが実際に指を伸ばそうとする前に、サスケが左眼の傷に触ろうとしたのだ。
「なに?」
サスケが手を振り解こうとするのを許さず、顔を覗きこむ。
急に写輪眼で見つめられて、サスケは驚いたようだった。体がぎくりとこわばって、見る間に顔が赤くなる。だが、やはり目だけはじっとこちらを見つめてくる。
サスケが息を飲んだのがわかった。
目線で言葉をからめとる。いつの間にか無言のかけひきに夢中になっていた。黒目が生き物のようにうごめくのから目が離せない。
この緊張感がたまらない。相手が逃げるか、自分が逃げるか、まなざしだけで計りあうこの感覚は、そういえば好きだった。自分でも意図せずサスケとこんなかけひきをすることになったのにはさすがにどうかと思ったが、首筋にせりあがってくる何がしかの感覚には逆らえなかった。長らく遠ざかっていたことで、飢えていたのかもしれない。
もっと、もっとと、相手の微妙な変化を探しつづける。サスケのくせはどれも知らないものばかりで、何もかもが新鮮だった。
ひとつ動きを追うだけでも興奮することに、自分のことながら動揺した。
男の子にしては長いまつげが震え、サスケの瞳がわずかに揺れる。
ふだんから見せている目と写輪眼と、色の違うふたつの目に見つめられ続けるのに耐えられなかったのか、サスケがうつむいた。
うつむくと、まっすぐで真っ黒な前髪が写輪眼の視界を覆って、頬の傷の上までさらさらと流れてきた。髪は冷たかったけれど、その向こうの髪にこもった空気は温かかった。ふわりと、シャンプーなのか少し甘ったるい匂いがする。
意志とは関係なく、磁石に引っぱられたかのように、唇が触れた。マスク越しでも、それが柔らかいのがわかった。
なぜだか、サスケは抵抗しない。
しばらくサスケの唇の表面を左右に撫でるように触れていたが、その柔らかさに思わず力がこもりそうになって、歯止めがきかなくなりそうな予感がくるのに、今さらながら慌てた。
マスクをずらそうとしたのか、自分がいつの間にかそれに指をかけていたのにも同時に気づいて、ぐらりと視界が引っくり返った。
それから、体中を叩くどすんという衝撃。
なんのことはない、狭い木の上で体を支えるために集中させていた下半身のチャクラが切れて、下に落ちたのだった。
膝に乗っていたサスケも一緒に落ちたのだろうが、何もなかったかのようにポケットに手を突っ込んで、傍らからこちらを見下ろしている。
よく見ると、目元が少し赤い?
額宛を元に戻して、服についた草を払いながら立ち上がった。
今、いったい何が起こったのだろう。
「ま、なんだ・・・、気をつけて帰れよ」
「そりゃアンタだろ」
いつもと変わらぬ声音に安心したような、がっかりしたような。
すぐに身を翻してしまった背中を見送りながら、ぼんやり思う。・・・あのまま木から落ちなかったらどうなっていたのだろう。
「こういう趣味はなかったはずなんだけどな」
そうひとり呟いて見たものの、唇の先の感触と、黒い沼のような瞳がするりと撫でるように動いた残像を胸に思い描いていると、何かが胸に住み着いて、ときおりざわりとうごめいているのがわかった。
「・・・まいったね〜」
いつの間にかサスケは駆け出していて、背中のうちわが判別しにくくなったところで、ふっとその姿が消えた。
――それからしばらくは、サスケがカカシの写輪眼について触れてくることはなかった。
END