いっぱいに開けた窓からセミの声が聞こえてくる。その鳴き声が鼓膜を震わせるのを感じながら、暑い、と心の中で呟いてみる。暦の上ではとっくに秋だというのに、うだるような暑さは全然弱まりそうもない。
さっきから術書を広げてみてはいるが、暑さのせいで読む気も起こらない。とりあえず今やっても効率が悪いからと読むのを諦め、もぞもぞと床に横になる。手足を伸ばすと、それでもまだ体の中にたまった熱が逃げていくような気がして、いくらか楽になった。
しかしすぐに背中と床の間に熱がこもってくるのを感じ、すこし横に移動して今度はうつ伏せになる。頬を体温よりは冷たい床に押し付けると、微かにひんやりとした硬い感触が伝わってくる。その感触をしばらく楽しんで、床が温まってきたところで体を起こそうとした。・・・ところで、背中が重いのに気がついた。
背中の重みに気づいてから、これまでまったく感じなかった気配も一緒に伝わってきた。
その気配の主は、姿を見なくても、誰だか分かる。暇にまかせて人のうちに忍び込み、丁寧に気配を消して、こちらに何事かを仕掛けてくる人間には、ひとりしか心当たりがいない。
「何やってんだよ」
いかにも呆れたという声を出して、身をよじろうとしたが背中の重みのせいで体が動かなかった。背中に乗っているのは、おそらくカカシの頭。身をよじろうとして顔を動かしたときに、床に長く投げ出す黒い布に包まれた足が見えた。足の位置からいって、背中にはカカシの頭がのっているのだろう。ただでさえ暑いのに、余計暑苦しい。
それでも、ちゃんと靴を脱いでいるのに少し感心しながら、「靴は」と聞くと、「脱いできた」というもっともな答えが返ってきた。・・・あたりまえだ。靴を履いてあがってきたりしたらかなりむかつくだろう。汚いとかそういう問題以前に、人を何だと思っているのか、神経を疑う。とりあえずは脱いでいるのでまあよかったが、玄関で脱いできたのだろうか、窓の外にでもあるのだろうか。だいたい、いったいどこから入ってきたんだろう。玄関は鍵がかけてあったのに・・・。
窓も・・・、と考えたところで窓が全開だったことに気づく。そういえば暑いから風を入れようと思って開けておいたのだった。こんな簡単なことにすぐ気づかなかった自分に心の中でため息をつき、だいたいこの上忍が悪いと思いなおす。いつも予想のつかない登場の仕方をするからだ。
そしていつからいたのか。なんでいるのか。
こいつのすることはまだまだ理解できないところが多くて、いつも何か余計なことを考えさせられる。答えは出るときもあるし、出ないときもある。・・・ようするにこの上忍のことはよくわからないことが多すぎるのだ。
背中に頭を乗せたまましばらく考えていると、「無視しないでよ」と言う声が頭の後ろのほうから聞こえてきた。ずうずうしい上忍は、やっぱり頭をサスケの背中に乗せているらしい。
暑苦しい奴だと思いながら、ため息をついて言う。
「何の用だ」
その言葉にカカシがくすりと笑う。これはサスケなりのいらっしゃい、というあいさつ。と勝手に考える。だって本当にイヤなら口もきいてくれないのだから。そしてカカシからもたいして内容に意味のない言葉を返す。
「ちょっと顔を見に来ただけ」
それでもサスケはその言葉に、この体勢じゃ顔なんか見れねーだろ、と律儀にぼそりと呟き、ため息をつきながら体を少し動かした。言葉はそう言っていても、別に顔を見せてやろうとかそういうわけじゃなかった。ただこの姿勢でいるのがイヤだから。ただでさえ暑いのに、くっついていることない。それも枕代わりにされるなんて。
腹這いのまま横に少しずれて、カカシの頭の下から体を抜いた。カカシの頭はサスケの背中に預けきっていたので支えるものがなくなって床に激突するかと思いきや、床と頭との間にわずかな隙間を残して止まった。
体を起こして座る体勢に移りながら、しつこくそのままの体勢でいるカカシを見て、思いきり呆れた顔になる。でもその表情はカカシには見えないだろうと思ったので、カカシに聞こえるようにとすこし大きめにため息をはいた。それにしてもけっこう無理のある体勢なのに表情ひとつ変えない・・・と思ったら、カカシはなんだかずいぶん情けない表情をしていた。
その表情に、体の力がどっと抜けるのを感じる。そんなサスケの心情を知ってか知らずか、カカシが余計に体の力が抜けるような声で不平を言う。
「疲れる・・・」
「あたりまえだ」
「オレ任務で疲れてるのに〜」
あんたは何もしてなかっただろ、とつい言いそうになって、サスケは口を閉じる。いつもこうやってわけのわからないままにこの上忍のペースにのせられているのだ。
「だったらその体勢を何とかしろ」
じゃあそうすると言いながらカカシは体を起こし、サスケに向き直ったかと思うと肩に手をかけた。なんだよといぶかしむ暇もなく、体が後ろに倒される。サスケはとっさに片手で体を支え、目の前にいるカカシを睨んだ。
「なんだよ!」
「何って、寝るのに枕・・・」
「ふざけんな」
その倒されかかった体勢を立て直し、反対にカカシの肩に手をかける。そしてそのままの勢いでカカシを床に倒した。そしてお返しにとばかりに、サスケはカカシのお腹の上に頭をのせた。ばすっと音がするくらい勢いよく。
「ぐぇ」
カカシがかえるがつぶされるときのような声をあげたのがおかしくて、心の中で笑う。
「なんで〜?オレ疲れてるのに〜」
「ここはオレの家だ」
「おーもーいー」
「気にするな」
「お昼が出ちゃう」
「・・・汚ねぇな・・・」
意味のない会話を交わしながら、それでもカカシは抵抗するでもなく、サスケもそのまま頭をカカシのお腹の上に預けたまま。しばらくお互いの出方をみているような感じでじっとする。
部屋には西日が差し込んできていて、肌がじりじりと焼かれるようだ。日にあたっているところはもちろん暑いが、床についている背中も暑くて、じっとりと汗をかいているのが気持ち悪い。それなのに、体が触れ合っているというのに、なぜか頭だけは暑く感じない。本当は起き上がって風にあたりたいところだけれど、頭があまり暑さを感じないせいかなんとなく動く気がせずに、遠くから聞こえてくるセミの声を聞くでもなしに聞く。
そんな暑い部屋の中で、サスケはカカシの腹を枕にしながら、確かにこれは具合がいい、と心の中で少し感動していた。頭になじんだ枕でさえこうはいかないだろう。硬さも弾力も申し分なく、頭が落ち着く感覚が気持ちいい。
そして、カカシが息をするたびに自分の頭がかすかに上下するのと、ときおり皮膚を伝わって聞こえてくるぐるぐる〜という小さなお腹の音が、なんだかおかしい。カカシの腹というより、なにかヘンな生き物みたいだ。
くすくすと思わず小さな笑い声を洩らすと、カカシはそのサスケの笑い声を聞き逃さずに、わざと大きく息を吸ったり吐いたりして、腹の動きを大きくさせた。サスケの頭がカカシの腹の上でぐらぐらと揺れる。
いくらカカシが口では重いとは言っても、サスケの頭の重さは心地いいものだった。ふだんどおりの厚着だから髪の感触は伝わってこないが、腹の上で頼りなく揺れる頭がかわいらしい。そんなサスケの頭を見てカカシも笑う。
カカシの笑い声が耳から聞こえてくるのと同時に頭にも直接伝わってきて、なんだかくすぐったくてサスケもまた笑う。
「はあ」
しばらく2人で笑ってから息を整えた。
サスケはもう一度ふう、と息をついてから、目を閉じて体の力を抜いた。体の力は気持ちよく抜けて、気を抜いたらこのまま眠ってしまいそうな感じだ。
眠気を覚まそうと、投げだしていた腕を上に伸ばして、軽く握ったり閉じたりする。そしてそのままなんとなく無意識のうちに印を結んでみた。そこにチャクラはこめずに、形だけで。
寅、丑、卯、辰、・・・。術書では読んだけれど、まだ実際には試してみたことのない術を、今までに何度か繰り返してきたようにまた練習する。
「あ、今のところ違う」
自分の両腕を枕にしていたカカシが、同じように腕を上に伸ばして印を結びながら言った。
「・・・巳、酉、・・・で、そのあとが戌・・・」
カカシが印を結んでいるのを横目で見て、そうだったっけと思いながらもう一度最初から結んでみる。・・・巳、酉、で、戌・・・?・・・ああ、そうだ、このあとに戌、卯、・・・、と続くのだ。別の術と混ざってしまっていたようだ。
「そうだった・・・」
続けて何度かやってみて、今ならなんだか術を発動させることができるような気がして、わずかにだが指先に気がこもる。
「やーめーてー」
こんなところで技を炸裂させないで・・・とカカシが別段慌てたふうでもなく言う。
・・・ばれたか。チィと舌打ちすると、さらにそれはまだ無理だよ、と言ってきた。そうだろうな。自分でも意外なくらいあっさりとそれを認め、しかしやはり自分の未熟さがくやしくまた舌打ちをした。手をパタンと下ろすと、カカシが慌てたように、「別のを教えるから」と言った。
別にカカシに無理だと言われて拗ねてるわけではないのだが、教えてくれると言うなら教わっておこう。こんな、1対1で術を教えてもらう機会なんかめったにない。
カカシはサスケの手を取ってまた上に伸ばさせると、印を結び始めた。何も言わずにいくつか結ぶと、「はい」と促した。
「酉、丑、午、未、寅、巳、子、申・・・」
口の先で呟きながら、今カカシがやったとおりに真似ていく。さっきやっていた術より印の数が少なくて短いので簡単に覚えることができた。この印がいったいどんな術なのかはわからないが、12個の印の組み合わせが無限の可能性を持っていることに、胸がいっぱいになる。早く、1つでも多くの術を身に付けたい・・・!
「よくできました」
カカシは、サスケの飲み込みの速さに改めて驚きながら、術の名前を言う。チャクラの練り方は実際にやっていく中で体で覚えていってもらうしかないが、この術を使えるようになるのはそう遠いことではないだろう。
サスケは、手に覚えこませようと、何度も何度も繰り返し印を結びつづける。最初はゆっくりと確実に、それからだんだんとスピードをあげて、一呼吸の間に結べるようになるまで繰り返した。額に汗がにじむが、そんなことは全く気にならなかった。
自分を枕にしたまま、その存在を忘れたかのように集中するサスケを見て、カカシはこっそり感心する。自分はこんなに一生懸命になることって最近あったっけ・・・。とりあえずは何も思い浮かばず、サスケの一途な姿勢に頭が下がる思いがする。
サスケは腕を天井に向かって上げたまましばらく印を結びつづけていたが、さすがに腕がだるくなってきたので少しの間、体の脇に下ろした。それを見て、代わりのようにカカシが腕を上げ、また別の術の印を結んだ。カカシが結んでいく印を目でじっと追ってから、カカシが腕を下ろすのと入れかえにサスケが腕を上げてまた印を真似る。その術をしばらくまた繰り返し練習し、ある程度のスピードでできるようになると、また腕を下ろした。そしてまたカカシが印を結んで・・・、というようにいくつかの術をほとんど言葉を交わさず続けて、しばらくの間2人は印を結ぶことに没頭した。
窓の外ではもう日が落ちかかっているようだ。相変わらずセミの声が聞こえてくるが、直接日があたらなくなったことでいくぶん暑さもましになってきた。
「ここまで。覚えられた?」
術の名前を言う以外はしばらく無言で印を結んでいたカカシが言った。
それに対する答えは返ってこなかったが、サスケが得意げに鼻をフンと鳴らすのが聞こえた。当然だ、というところだろう。サスケは体を起こすと、カカシの顔の脇に座った。そして一瞬カカシと目を合わせると、目を瞑って最初の術から次々と印を結んで見せた。今短時間で教えた5つか6つの術の印はもう完璧で、スピードも申し分なかった。カカシがへえ〜と感心した声を洩らすと、サスケは目を開けて、にやりと笑った。
印が結べるからといって術を発動させることができるというわけではないが、こいつならすぐにできるようになるだろう。初めて術ができたときにもきっとこんな得意げな顔をするのだろうか。カカシは、そんな場面を早く見てみたい、と一瞬思ったが、もしかして自分が練習台になるのだろうか、と気分は少し重くなった。おそらく手加減してはもらえないのだろう。・・・まあそれでもいいか・・・。
サスケはカカシが何を考えながら自分を見ているのかわからなかったが、なんだかうれしい気持ちでもう一度カカシの腹に頭を落とした。
カカシは今度は何も言わずに、代わりにはぁ〜と聞いているほうが気の抜けるようなため息を吐く。
今度こそ眠ってしまいそうだ、と思いながら、サスケは目を閉じた。
END