なんだか眩しくて、突然眠りから覚めてしまった。
窓の外は夜とは思えないくらいに明るい。
今夜は満月。
今いるベッドの上からは月は直接見えないが、その姿は想像できた。
そのまま目を閉じると、まぶたに微かに感じるやわらかな月光。
もう一度目を開けて、月が見えないことを確認すると、サスケはベッドから抜け出した。
そしてパジャマ代わりのTシャツと半ズボンの姿のまま、ふらりと外に出た。
空には真円の大きな月。
真っ白な光が内側から染み出しているようで、自ら輝くことができないとは思えない。
サスケは月を見上げてから、その残像を確かめるように目を閉じた。
そして自分の中に何かが湧きあがってきそうなのを感じると目を開いて、月に向かって歩き出した。
まだ形にならない衝動。
足音を消し家々の間を歩きながら、時折空を見上げる。
灯かりの消えた家よりも、夜空のほうがずっと明るい。
人がいるとは思えないほど、街はしんと静まりかえっている。
家並みを抜けてしばらくしてから、木々の中に入っていく。
枝葉に遮られて、サスケのもとまで十分に光は届かない。
闇の色をした木々、明るい夜空。
空のほうが明るいのをぼんやり不思議に思いながら、真っ暗な森の中を、それでも全く怖いと感じることはなく、月の光の方向に向かって歩き続ける。
自分の髪と目の色のせいだろうか。
暗い、深い海のような青い光に満ちた世界は、自分を受け入れてくれているような感じがする。
夏だというのに空気は不思議と澄んでいて、気持ちのよいそよ風が鼻腔をくすぐる。
しんと冷えた森の中はまるで夢の中にいるようで。
なぜなのかわからないままに、ひたすら月に向かって歩いていたが、見覚えのあるあたりにいることに気づいて歩みを止める。
そしてそのあたりでは一番高い木に登り、森の上に顔を出した。
眼下には黒々とした樹海。
見上げると夜空には満月。
音のまったくない森を足の下に感じ、世界に自分と月しかいないような錯覚を起こす。
月の光は心の奥底まで優しく届いて、心をゆっくりと溶かす気がする。
静かに身体に染み込んで。
こんな時には泣いてもいい。
いつもは封印しているそんな気持ちも、こんな時だけは解放してもいい。
なぜ泣きたいのか判らないけれど、月の光が眩しくて、目の奥がだんだん熱くなってくるから。
月が少しの間滲んで、頬に涙がこぼれる感触の後、また元の形をあらわした。
涙を拭うことなく、ただ月を見つめる。
何も考えずに。
どこかで色々な感情が現れたり消えたり混ざったり離れたりしているのを感じるが、それの一つ一つを取り上げて吟味したりするのは今でなくてもいい。
また明日になったらちゃんと考えるから。
だから今だけは何も考えずに、このまま、泣いていたい。
+++
どのくらいそうしていたのか、気がつくと月は中空から西に移動していた。
少し肌寒さを感じ、身震いをする。
ぼんやりとした意識のまま、明日もあるから、と帰ることにして木を降りる。
月の光をもう少し浴びていたいと離れがたさを感じるが、ずっとここにいるわけにもいかない。
明るかった夜空に慣れた目は森の中をいっそう暗く感じさせたが、かまわず歩き出す。
今度は月を背にして。
誰にも会わない帰り道。
月が作る自分の影を見つめながら、家に向かって黙々と歩く。
自分の影だけをこんなにじっくり見ることなんて、最近なかった。
影と向き合いながら、時々耳をすましてみる。
夜だからって全然物音がしないなんてこと、あるのだろうか。
夢の中にいるみたいだ、とぼんやり考える。
泣いたせいか、なんとなくだるい。
身体の芯にあったものが、溶けてどこかに流れ出ていってしまったみたいだ。
家の前にたどり着いて、影から目を離して顔を上げた。
そこに銀色の光を見つけて、声を上げはしなかったものの、驚いて目を見開く。
「どこに行ってたんだ?」
静まり返った耳に響く、聞き覚えのある声。
呆れたように言いながら立ち上がったのは、サスケの所属する第7班の担当上忍カカシ。
なんでこんなとこにいるのか不思議に思いながら、「散歩」、と言葉を返す。
これは本当に夢?
なんでカカシがこんな時間に家の前で待っているのだろう。
月と自分と影しかいなかった世界に、思いもよらなかった侵入者。
銀色の光を頭にまとって。
昼間はいささかくすんでいるその髪が、今は月の仲間のように輝いて、だからすんなりサスケの意識に迎え入れることができた。
「・・・なんだよ」
カカシが自分の顔を驚いたように見ているのに気づき、たずねる。
「いや、・・・・・・寄ってってもいい?」
「・・・ああ。別にいいけど」
明日もあるのにこんな遅くにふらふらしててもいいのか、と聞こうとして、それは自分も同じだなと聞くのをやめた。
それに、明日のことはまだ考えたくない気分だった。
+++
部屋の中は外と同じ薄紺色だった。
このぼんやりとした意識のまま眠ってしまいたかったので、小さな間接照明だけをつける。
暖かいオレンジ色の光が柔らかく空間の一部分を照らす。
それに伴い、青みがかった親しみ深い気配はどこかへ消えてしまった。
冷蔵庫からよく冷えたお茶を取り出し、2つのグラスに注ぐ。
カカシは相変わらず何を考えているのかよくわからない表情で、頬杖をついていた。
「お。悪いね」
そう言いながら早くもまわりに水滴がつき始めているグラスを受け取る。
暗い部屋の中で、カカシの髪にはさっきの輝きはなかった。
まるで、月が雲に隠れてしまったみたいだ。
なんでここにいるのかとか、こんな時間まで何をしていたのかとか、疑問はいろいろあったけれど、そんなことはなんだかどうでもいいことのような気がして、問いを飲みこむ。
今カカシがここにいる。
それだけの事実。
何を話すでもなく、二人で向かい合わせにグラスに口をつける。
お互いが液体を飲みこむ音だけがときおり聞こえるだけの静けさを苦痛と感じず、かえって居心地がいいくらいだった。
ふうと息をつくと、その拍子に涙が出た。
なぜだろう。
まだ頭の中がぼんやりして、よくわからない。
さっき月のところで泣いた余韻がどこかに残っていたのかもしれない。
涙を拭いて、ふとカカシを見ると出ている目が驚いたように見開かれていた。
「なんだよ」
「・・・なんで泣くの・・・?」
そう言いながらグラスをテーブルに置く。
「知るか」
憎まれ口をたたきながら、なぜか涙は次々と出てきた。
泣いているところをカカシに見られて、でもなんだかどうでもよくて、涙を隠そうともせずに泣いている自分は、きっと現実のものではないのだ。
ほんとになんで泣いているのか判らない。
頭の中がなんだかからっぽだから。
というよりは、いろいろごちゃまぜで、考えのどれ一つとしてはっきりとした形をとってくれないから。
カカシの手が伸びてきて、親指でサスケの頬の涙を拭う。
それでも次々と涙は出てきた。
カカシの手はグラスで冷やされて冷たかったが、感触は優しくて、とても慰められる感じがした。
しばらく、サスケは何も言わずに泣きつづけ、カカシは何も言わずに涙を拭いつづけた。
人の手を優しいと感じてしまうなんて、気持ちいいと感じてしまうなんて、ふだんだったら絶対に許さないけれど、今日だけは。
今日だけは甘えてもいい。
・・・これはきっと月のせい。
こんな月夜の晩に一緒にいることがなんだか不思議だ。
―――本当は、さっきカカシが家の前にいるのを見た時、自分がひとりで泣いているのを心配して、月が使いを遣してくれたと思ったんだ・・・。
サスケが伏せていた目を上げてカカシを見ると、カカシは一瞬苦しそうな表情をした。
そして、涙を拭っていた手を止めて、サスケの頬を包み込んだ。
そのカカシの手のひらの感触を目を閉じて味わう。
大きな手のひら。
一瞬、額に何かが押し当てられて、またそっと離れていった。
静かに目を開けると、間近にカカシの顔。
いたわるような色を湛えたカカシの片目と目が合う。
カカシは手で頬を包み込んだまま、テーブル越しにゆっくり近づいてきて、静かに額に口付けた。
サスケは、また目を閉じて、それを受け入れる。
カカシの唇も手と同様冷たかったが、サスケの額の体温がだんだんと移ってぬくまってくる。
なによりも、いたわりの気持ちがカカシの唇から伝わってきて、からっぽでごちゃごちゃした自分の心に、暖かい何かがそそがれるのを感じる。
サスケの涙はいつのまにか止まって、気持ちも日頃の落ち着きを取り戻してきた。
「・・・なぁ」
「ん?」
額から唇を離して、カカシが何?とサスケの顔をのぞきこんだ。
そしてサスケと目が合うとにっこり笑って、テーブルの向かいの元の位置に戻った。
「何でもない」
ほんとは何か言いたかったが、何を言いたいのかわからなくて、結局やめる。
ただなんとなく、何かを伝えたい気持ちだった。
カカシはマスクをいつものように鼻まで引き上げ、いつのまにかはずしていた手袋をはめながら、「じゃあまた今度でいいよ」と言った。
何を?と思うが、曖昧にうなずく。
カカシの気持ちが伝わってきたと感じたとき、カカシにも何かが伝わったのだろう。
言葉にしなくても、今夜この空間を共有したことで十分なのかもしれない。
何か一生懸命考えている風なサスケを見て、カカシはふうと安堵のため息をついた。
立ち上がりながらサスケの頭にぽんと手を置くと、
「おじゃまさま」
と言って、荷物を持ち上げた。
「帰るのか?」
「うーん、なんか朝になっちゃいそうだしね」
ふぅんと答えて、それもそうだなと思う。いったい今は何時なんだろう。
なんだか急に眠くなってきてしまった。
玄関までカカシを見送るためについていくと、開いた扉から、朝の匂いがするひんやりした空気が家の中に入ってきた。
「あー・・・。サスケ、遅刻しないようにね」
いったいどの口でそんなことを言えるのか、と聞いた瞬間不思議に思う。
「・・・それはあんただろ」
カカシはそれには答えずに、よく寝ろよ、と頭を撫でてから出ていった。
カカシが、時折振りかえって手を振りながら、まだ暗い家並みの中に消えていくのを見送って、お礼を言わなかったことに気がついた。
なんでここに来たのかも結局聞かなかった。
思い出したように空を見ると、月の位置がだいぶ低くなっている。
今は、さっきのように、月を見てもよくわからない感情は起こってこなかった。
きっともう月の魔法は解けてしまったのだろう。
カカシが、きっと解いてくれたのだ。
気づかないうちに。
今度は睡魔が襲ってくるのを感じながら、ベッドにたどり着いて時計を見る。
明け方がそれほど遠くないことを確認すると、枕に顔を埋めて目を閉じた。
頭に浮かんでくるのは、カカシが触れてきた感触だ。
明日もきっと遅れてくるのだろう。
なんと言い訳をするのだろうか。
明日お礼を言わなきゃ。
そう思う間に、サスケは再び眠りについた。
END