カタ、カタン・・・。
目の前のドアと同じようにいかにも年季の入っていそうな呼び鈴を押すと、手にはすかすかした感触が返ってきた。それが中で鳴ったような気配もない。
役に立たないそれにチッと舌打ちすると、サスケはどんどんとドアを叩いた。せっかくの休日に呼びつけておいて、くだらない用事だったらただじゃおかない。
(どうせ予定もなかったけどな)
まもなく、カチリ、と鍵が開いた音がした。
サスケは触り慣れないそのドアのノブに手をかけると、何となく気恥ずかしさを感じながら、そっと手前にひいた。
だが、玄関に待っていたのは予想していた長身ではなかった。以前にここに来た時には確かにいなかった、黒いサングラスをかけた・・・どう見ても、犬だ。
――・・・いや、犬じゃないかもしれない。なんだか、・・・違和感が・・・。
・・・まさか、
「カカシか・・・?」
「そんなワケないでしょーが」
間髪入れずに返ってきた答えに、サスケはのろりと顔を上げた。
だいたいお前はいつもカカシ、カカシって呼び捨てでねぇ、と今さらなことをついでにぶつぶつ言いながら、カカシが廊下を歩いてくる。休みだというのに私服はどうしたのか、額あてとマスクをしたいつもの姿だ。が、ベストは脱がれていて、中途半端にラフだった。
サスケはそんなカカシと、自分の前に座る1匹の他にもカカシの足元をうろうろする何匹もの犬たちを見て、器用に片眉だけしかめた。
カカシはそれに片目だけで笑んで応えると、「ハイ」と何本かの綱を差し出した。
「・・・なんだよこれ」
「散歩。1人じゃ大変だから手伝って」
「は?」
サスケは今度はいぶかしげな表情を隠さずに、目の前に立ったカカシを見上げた。
+++
「この犬たちは何なのか」と聞かれたらどう答えようかといちおう考えてはいたが、サスケは最初になんだか困ったような不思議な表情をしただけで、犬たちのことについては一言も触れてこなかった。
・・・というより、そんなことを聞いてくる余裕はなかったのかもしれない。
合計8匹。
そのうちの6匹の綱がサスケの手につながれている。ちなみに、カカシの片手には一番大きい犬の綱、もう片手には一番小さい犬を抱いていた。
(あ〜あ)
サスケの片手3匹ずつ、合計6匹はそれぞれ好き勝手な方向に進みたがって、前を歩くサスケたちの状態はだいぶ混乱したことになっているようだった。遊んでもらえる雰囲気を感じとったのかいつも以上にはしゃぐ犬たちと、遊ばれそうな気配を感じとってなんとか秩序を守ろうと必死に歩くサスケ。遊園地できゃあきゃあとはしゃぐ子どもたちと、甥、姪の面倒を不本意ながら任されてしまった親戚のお兄さんといったところか。
サスケは犬はあまり知らないのか、どう扱っていいものか、と困惑が背中からにじみ出ている。
そしてまた、そんなサスケの心中を知ってか知らずか、サスケに飛びつこうとタイミングをはかっているやつもいる。
そんな後姿たちを見ていると笑いがこみ上げてきた。
「笑ってねぇでアンタも手伝えよ!」
あんな状態でどうして笑う気配に気づく余裕があるのか、サスケが首だけ後ろにめぐらせてこちらを睨んでいる。
「オレも手一杯〜。サスケお願い」
「うぉ」
こちらが言ったことが全部聞こえたかどうか微妙なタイミングで、犬たちが再びサスケをよろめかせた。
一瞬崩しかけた体勢をさすがにすばやく立て直して、犬たちに引っぱられるようにしてまたサスケは歩き出す。
その時、小さく「しかたねぇな」と呟くサスケの声が聞こえたような気がした。が、犬たちの息やら動き回る音やらでよく聞き取れなかった。もしかしたら「しかたねぇな」ではなく、「だらしねぇな」だったのかもしれない。独り言だったのか、それともオレや犬に言ったのか、それさえもよくわからなかった。だがなにかふわりと・・・、表情も見えなかったが、・・・サスケの声は少し笑いを含んでいるように感じられた。
――もしかしたら、笑っていたのかもしれない。
もう一度振り返らないかなと思ったが、サスケは振り返る様子もなく、今度は犬たちを引きずるようにして進んでいる。
「・・・サスケ」
「なんだよ」
サスケは依然犬たちと力比べをしながら、前を向いたまま少し声を張り上げて答えてきた。
「やっぱり手伝おうか」
「・・・手一杯なんじゃなかったのかよ」
「1匹なら」
その言葉にサスケはやっと立ち止まると、それでもやはり犬たちにじりじりと引きずられながら、ゆっくりと振り向いた。その視線も一緒にカカシに向けられる。
(笑ってないか)
こちらを見据えたままじっと動かない2つの黒い目。子どもにしては甘えを感じさせることのない静かな目だ。
代わりに、見られている自分の心が揺れそうな気がした。そういう目じゃなくてもっと、・・・もっと欲しがってくれればいいのに。
特に今は静かな感じがして――いったい何を映しているのかと一瞬想像しようとして、でもすぐやめた。自分がサスケにどう見えているかなんて、それほど趣味のいい想像とは思えなかったからだ。
こちらが近づくのにあわせて、サスケが綱を1本手渡してくる。別にたいしたことではないが手が触っちゃうなと思いつつ、こちらも伸ばした手がそれを受け取るか受け取らないかのうちに、そいつは突然何かのヒーローのようにマントを翻し走り出してしまった。
「あ、おい!」
「・・・あ、サスケ、いいから」
そう言ったのも聞かず、サスケは残りの5匹の綱をすばやくこちらの手に押し付けると、走り去るマントを追って駆け出した。見る見るうちにその2つの姿は遠ざかり、呆然とその様子を見送るうちにとうとう見えなくなってしまった。
放っておいても大丈夫なのに・・・。
我に返ると、自分の手には6匹の綱と、抱いている1匹。しかたないのでそのチビも下に降ろす。そうして手には7匹の綱、足元には走りたくてたまらない7匹の犬。
・・・やれやれ。
カカシは頭をかく代わりにひとつ息を吐くと、のそのそと歩き始めた。
+++
「あー疲れた〜」
上忍のくせによろよろと犬に引きずられるようにしてカカシがあるかないかの細い道をやってきた。立ち上がりながら服についた草を払う。
ここでカカシたちを待ちはじめて、20分は経っていたと思う。
マントをひらひらさせて――この犬だけじゃなく他の犬も妙な格好をしている――、犬は進むべき道がわかっているような的確さでまっすぐこの丘まで走ってきた。さすがに全力で走る犬の足は速く、追いついたのはやっと、この丘のふもとにさしかかったところだった。
――いや、追いついたのではない。このふもとで立ち止まって、犬がこちらを待っていたのだ。
驚かさないように速度を緩めながら近づいていくと、犬ははっはっと息をしながら1度こちらを見上げて、すぐ元来た方を向いた。しっぽがぱたりぱたりと揺れている。
(カカシを待ってるのか)
だったら逃げなきゃいいのにと思いながら、サスケも、犬と同じ、今走ってきた方向を見た。
雑草と石だらけの細い道はさらに木々に隠されて、カカシたちの姿は見えない。木がなかったとしてももうしばらくは見えてこないだろう。ここに来るまでにけっこうな距離を走ってきたから、あれだけの犬を連れたカカシはもう少し時間をかけてやってくるはずだ。
傍らの犬は、それでもじっとカカシが現れる方角を見つめている。
カカシを、そんなに・・・。
――・・・だったら・・・。
「バカだな」
呼吸を整える合間にサスケが小さくそう言うと、いっちょまえに着けた額あての下からちらっとサスケを見上げて、犬はまた、前を向いた。
その隣に腰を下ろすと、サスケも今走ってきた道をじっと見つめて待った。
カカシが犬たちの首輪から綱を外している。
「・・・よくここがわかったな」
カカシが見えてきてから思ったが、ここに来るまでは一本道ではなかった。こちらからカカシが見えなかったようにカカシからもこちらが見えなかったはずだ。どうしてここにいるとわかったのだろうか。
「あ〜?ああ、だってここに来る予定だったからさ」
「いや、・・・・・・あ?・・・犬がか?」
「え?いや、オレが」
「?」
「あれ?あ、ここに来るって言っておかなかったっけ?」
「・・・ああ」
(そうか)
カカシがこちらの居場所をわかって追ってきたのではなく、犬がもともとここだとわかっていたのか。・・・一瞬、犬を連れているから、単純にこちらの匂いを辿ってきたのかと思った。
でもそうではなくて、この犬は最初からここに来る予定だとわかっていて、そのつもりで走っていたのだ。
犬もけっこう頭がいいなと思いながら隣のマントを見下ろすと、いそいそとしっぽを振りながらカカシに近づいていく。自分で逃げたくせに、まるで迷子の自分を主人が見つけ出してくれたかのような喜びようだ。おかげで大変だったでしょーが、とカカシがそいつの額をぺしりと叩いたが、それに堪える様子もない。
・・・やっぱりバカかもしれない。
――そういえばそのバカにくっついて、結局何の役にも立たなかったことをなんと言えばいいのか。
そう思いながら口を開きかけたところで、カカシが先に声を出した。
「そっか、悪かったな〜」
「・・・」
そんなことはないとでも言えばよかったかと思いつつ、結局何も言わないままサスケは口を閉じた。
丘に駆け上がる犬たちの後姿を眺めながら、2人並んで坂を上がる。
柔らかい草を足の裏に感じながら丘に1本立つ木のそばまでやってくると、カカシはまた「疲れた〜」と言いながら座った。そしてオレンジ色のカバーの本を取り出してゆっくりとページを繰り始める。
サスケはそれにすこし呆れて、駆け回る犬たちの方に目をやった。
(・・・すげえはしゃいでる)
しばらくそうして眺めてから、ふと、犬たちがどこかに行ってしまうことはないのかと聞こうとしてカカシを振り返ると、カカシはいつの間にか腕を枕にして眠ってしまっていた。
+++
・・・声がしている。耳元の草がざわざわ揺れる音の向こうから、何か、怒っているような・・・。
重てぇよ!この・・・、降りろー!
・・・いや、怒っているんじゃない。よかった、楽しそうだ・・・。
・・・ああ、風が気持ちいい。指に触れている草も柔らかくて・・・。・・・・・・・・・。
どのくらい眠っていたのか、ふと目を覚ますと体の上にマントがかけられていた。しまった。少し寝すぎちゃったかなと思いながら、寝起きの気だるい体はそのままに、目だけで周りをうかがう。
横たわった体を取り囲むようにして犬たちは思い思いのかっこうで座っていた。眠っている犬もいる。マントを外されたやつも、のんびりと4本の足を投げ出して眠っていた。
起きている犬たちは、何かの匂いを感じているのか、風が吹いてくる丘の下の方を見ていた。
・・・サスケもいる。
傍らの1匹の背中を撫でながら犬たちと同じ方向を向いているサスケの横顔は、まるで、よく訓練された犬のようだった。サスケも風が吹いてくる方向に何かを見出そうとしているのだろうか。どこかに向かう強い意思を秘めた精緻な横顔は、だがさっき見た瞳と同じように静かで、子どもだとわかっていながら品格さえ漂っているような気がしてくる。
それをサスケに気づかれないようにこっそり見ていると、目が覚めたのに気づいたのか、一匹がこちらを振り向いて鼻を近づけてきた。うっすら開いた視界が犬の鼻でいっぱいになる。
(こら、よせ〜)
「・・・こら」
視界は犬でいっぱいでも声からサスケがこちらを向いたのがわかった。それからサスケが近づいてくる気配に、気づかれたのかと慌てて目を閉じる。どきどきしながら目を閉じていると、間近にいた犬とサスケが離れていった。
それでもまだ心臓がばくばくしている。
(・・・なんなんだオレは)
だがそんなことを思ったこともすぐに忘れて薄目を開けてみると、サスケがそいつを自分の膝の間に下ろしているところだった。いつの間にそんなに仲良くなったのか、犬はおとなしくサスケの腕の中におさまった。
「起きちゃうだろ」
ふいに聞こえた囁くような声が、これまで聞いたこともないくらい、・・・優しい。
目を閉じてもう少し何か言わないかと耳を澄ます。・・・が、サスケはそれ以上は何も言わず、風が頭上を木の枝を揺らす音と羽虫が飛ぶ音ばかりが聞こえてくる。
さっき聞こえたのは気のせいだったのではないかと思い始めたころ、サスケが立ち上がった。さく、と草を踏みしめる音にぼんやりと帰るのかなと考える。なんとなく行ってほしくないとは思ったが、眠ったフリをしている手前なんと切り出したらいいものか不自然でないタイミングを図っているうちに、足音も静かに歩き始めてしまった。
・・・行くな、と思ったかどうか、実際のところはわからない。だが自分で声をかけて引き止める代わりにと言うべきなのか、犬たちがサスケを取り囲んだのがわかった。・・・あいつらはあれでも相手の動きを止める術には長けている。
「水を汲みに行くだけだ。おい、・・・ひっぱるな」
サスケの押し殺した声がした。あいつらはどうやら囲んだだけではなくて服だか手足だかを咥えているようだ。
水を汲みに行くだけだと知って少しほっとしたのだが、それでも離そうとしないやつもいたらしい。こそこそと「起きるだろ、あいつが!」と怒鳴る声がした後、これも小さくきゅーんと鼻を鳴らす声が聞こえた。
それから足音が遠ざかっていく。その小さな足音はサスケだけのものではなかった。
(そんなに相性がいいとは思わなかった)
サスケたちの気配が完全に消えたあと、カカシは小さく笑った。眠ったフリをしていたので見たわけではないが、さっきのサスケの慌てた様子が見えるような気がしたのだ。
残った犬たちがフンフンと鼻を寄せてくる。1匹ずつその頭を撫でてやりながら、なんだかおかしくてまた笑いが漏れる。
・・・でももうそろそろ時間切れだ。
+++
清水を水筒に入れている間、ふと気配が消えるのを感じて振り返ると、ついてきていた2匹の犬はいなくなっていた。
「・・・おい、」
だが、呼ぼうとして名前を知らなかったことに気づく。「・・・犬」
それもあんまりだと自分で思いながら、先に戻ったのかと丘に向かう。
歩きながら、カカシに犬の名前を聞かないといけないなと、少し悔しいような気分で思う。あいつのことだから「当ててみれば〜」などとおもしろがって、簡単には教えてくれないに違いない。・・・その時には無理にでも口を割らせてやる。
だが、丘に戻ってもその2匹はいなかった。
・・・2匹だけではない。全部で8匹いたはずの犬たちの姿は1匹もなくなっていて、カカシだけが木にもたれながらいつものように本を開いていた。
起きたのか、と、犬は、との両方を同時に問おうとして、結局どちらも口に出すことはできなかった。
その物問いたげな視線に気づいたのか、カカシが「帰ったよ」と言った。
「どこへ」と聞こうとして、やはりそれも聞けなかった。
――なんとなく感じていた違和感。
それに、犬たちの体はそれぞれ、無数の傷でいっぱいだった。
いくら忍者の犬だといってもこれじゃ大変だなと思いつつ、カカシにかけるためにその時そばにいた1匹からマントを外すと、その下から思わず息を飲むような大きな傷が出てきた。傷は完全にふさがった様子ではなかったが、血が出ているわけでもなかった。ただ血を吸った蛭のような赤黒い亀裂が、首の付け根から背中にかけて走っていた。
・・・いくら犬といってもこれじゃ致命傷じゃないかと思ったのだ。
忍犬でカカシの犬だからそんなこともあるのかとその時は思ったが、やはりそんな傷を負ったら・・・。
そして、それは、カカシを守ってのことに違いなかった。
・・・好きだったのだ、カカシが。
犬のことをあまり知らないといっても、今日の犬たちのカカシに対する態度が、自分たちを苦しめた人間に対するものでないことくらいわかる。カカシのためなら、自分が傷つくのも、結果命を失うことさえかまわなかったのだ。
・・・きっと本望だったことだろう。大事なものを守ることができて、――果たすべきことを果たして。
――じゃあ、守られて残されたカカシは?・・・どんな気持ちでやつらを呼ぶというのか。
丘を登りきって立ち尽くしたままいったいどんな顔をしていたのか、カカシが「ごめんね」と立ち上がった。
「別に」
その声が思っていた以上に沈んだ響きをしていて、自分自身が少し衝撃を受けた。
「悪かった」
・・・カカシはこちらが知りたいことは言わないくせに、そんな必要のないことだけを言う。
(そうじゃない)
そういうことじゃないのだ。謝られたいわけではないし、謝られるようなこともされていない。・・・休日に呼びつけられたことを除けば。だがそんなことを今さら言うつもりもない。そうじゃないのだ。
・・・何かを言うべきなのは自分なのに、言葉が出てこない。
「・・・ウスラトンカチ」
――カカシが近づいてくる。
何に対してだかひどく胸が痛んで、眼の奥がじわりと熱くなった。
END