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――心臓が体から飛び出しそうにばくばくいっている。
死にやしないだろうな、と少し混乱した頭で考えてから、ふと、自分が木の上にいることに気づく。・・・正確には木の上にしゃがんでいるカカシの膝の上にだったが。地に足がつかないような、硬くも柔らかくもないその感覚が、少し心もとない。
視界はほとんど真っ暗闇で、いつから見えていたのか分からないが空だけがぼんやりと明るい。今いるのはおそらく、カカシの家を囲むようにして自生している森の中だろう。目が慣れてくると、周りを取り囲んでいる木々の幹がうっすらと見分けられるようになった。
そして・・・、自分が夢中でしがみついていたものがカカシの首だったということにも、遅ればせながら気がついた。
カカシの首すじの熱が自分の首にほんのり伝わってきている。
その感触に、サスケは、心の中で「げ」と声をあげて驚いた。
この一瞬、さっきの何かのことは頭から薄れ、代わりに現在の状況に動揺する。体が不自然にこわばるのが、自分でもわかった。
・・・やっちまった。
なんてことだ。あれくらいのことで動けないくらいびびって、助けてもらうはめになるとは。
それだけならともかく、・・・それだけでもここ数日の記憶をリセットしたいくらい口惜しいというのに・・・、さらに、首に力いっぱいしがみついている、などとは。カカシはこの状況を何と思っているのだろうか。そう思うと血の気が引く感じと血が上る感じが交互に訪れる。
・・・信じられん・・・。あっちも、こっちの状況も。
しかも、カカシだ。あの、うさんくさい、ぐうたらな、いいかげんで、・・・寝坊はするし、おせっかいで、だいたいメリットなんかないのにこんなガキに部屋を提供するような物好きで、・・・何を考えてるんだか、さっぱり・・・。
それでも、体温は人並みにあるなんて。
何が衝撃なんだか自分でもよくわからなくなってきて、思考を一瞬放棄してみる。
――風が、さわりと木の枝を揺らした。月の姿は見えないものの木々の中より明るい空に、一瞬、木の葉が舞うのが見えたような気がした。
同じ風で、カカシの少し長めな髪が耳元をくすぐる。
まだしがみついた体勢のまま、サスケは小さく息を吐き出した。
カカシの膝の上の不思議な居心地。抱いている首や胸から伝わってくる温度と意外とさらさらした髪の感触に、何かが変わってしまうのではないかという予感がして、少し怖い。
だが、「とうとう」という、妙な気分もしないでもない。いったいなんだというのだろう。
変な晩だ。
よくわからないままながら少し落ち着いてきて、サスケはまた小さく息を吐いた。そして、カカシの首を締め上げていた腕の力をそうっと緩める。
それにあわせるようにカカシの腕も緩められて、一瞬、ふわりと体が浮いたように感じられた。
急に不安定な感じがしたことにまた腕に力をこめてしまいそうになったが、それはなんとかやり過ごす。
そしてやっと、カカシもしっかりと自分を抱いていたのだということに気がついた。
「驚いたな」
ぎくしゃくとサスケが腕を外していると、その心境を知ってか知らずか、カカシが呆然と呟いた。耳のすぐ近くからその声が聞こえてきたことに体に緊張が走りかけたが、逆に安心しもした。
カカシの声音はいつもと変わらない。
だから、特別何かが変わったわけではない。
この状態(自分がカカシに抱きついてる、とは心の中だけでも思いたくはない)も特別に変わったことではない。
驚いたと言うのはさっきのアレのことであって。・・・自分のことではない。それに今ここ(カカシの膝の上、とは心の中だけでも思いたくない)から下りるにしても、・・・履くものがない。
・・・だいたい、ナルトを見てみろ。――そうやって自分を納得させるように、ナルトがイルカに飛びつく姿を思い出した。
たまにだったらカカシにも抱きついているではないか。上司と部下・・・としては考えにくいが、教師と生徒、大人と子どもだったら十分ありうる行動なのだ。
だから、これも、特別変わったことではない。
ただ少し・・・、理解しにくい状況なだけだ。
「・・・何だよあれ」
これ以上考えても無駄、と判断すると、あの古い家で起こった出来事が今さらながらに気になってきた。
そういえば、あれにはカカシも言うように、驚いたんだった。
・・・うっかり、忘れかかっていた・・・。
「さぁ・・・、何だろ」
カカシはのんびりした口調で答えた後、木の葉の幽霊屋敷ってあながちウソでもなかったんだなあ、とこれもまたのんびりと笑う。驚いた、と言っているわりには、驚いたふうではない。続けて何か言うかと待ってみたが、カカシは黙ってしまって何も言わない。
半端にカカシの肩に残してしまった右手の中に、じんわりと体温が伝わってくる。夜の風はやはり肌寒くて、触れ合っている部分が余計に温かい。カカシの体との隙間にとどまる空気さえ、なんだか温かく感じられる。
そんなことをぼんやりと考える間にもカカシは何も言わず、寝ぼけてんのかと間近にあるはずの顔を見上げようとすると、それより一瞬早く、やっとカカシが口を開いた。見損ねた表情はどんなだったのだろう、・・・どうでもいいが。
「サスケ、お前霊感とかある?」
なんだそれ。
「ねぇよ。」
「そっか。オレもねぇや」
はー、驚いた、とカカシはもう一度言って、さっき一度緩めた腕にまた力をこめてきた。
ぎゅうっと抱きしめられて、間にはさまれた腕が少し苦しい。肩に伏せられたカカシの頭も少し重い。でも別に嫌だと思わなくて、つい、抵抗するタイミングを逃してしまった。意外としっかりした肩口に自然と押し付ける形になった額に、カカシの胸の鼓動が伝わってくる。口調は普段と変わらなかったのに脈は少し早いようだ。
・・・カカシとの間にこもる自分の息がなんだか生暖かい。
それらが妙に気恥ずかしく、何か言わなくてはと追い立てられるように思ったところで、またカカシが口を開く。
「理屈に合わないことは苦手なんだよな〜」
怖がってるわりには、あまりにしみじみとした声音だった。しかも、体に直接響いてくすぐったい。
「いつもの理屈なんか通用しないふるまいはじゃあいったいなんなんだ」と聞いてやろうとして口を開くと、言葉の代わりに小さく笑いがもれた。
「何笑ってんの」
「・・・アンタの口から理屈なんて言葉を聞くとは思わなかった」
「なにソレ」
「あんまいろいろ説明とかしないだろ」
「あー・・・、」
そこでカカシはいったん黙ると、体からがくりと力を抜いた。
「口下手なんだ」
「の割には言いたいこと言ってるじゃねーか」
「・・・・・・んん〜?」
自分の言葉に対して考え込む様子に、サスケはまた少しだけ笑う。
弱くではあるがさっきから吹いている風がカカシの髪を揺らして、サスケの耳元をごく軽く撫でている。
それも少しくすぐったく、こんな、声が体に響きあうような至近距離で会話をするのもなんだかおかしくて、笑いたいような暴れたいような、妙な気分がする。その気分が内側から体を温めて、カカシに抱きつかれている(とサスケは判断した)ことで肌も温かい。時々体にわずかにあたる風がかえって涼しくて気持ちいいと感じるほど、体中がぽかぽかしてきた。
その温度に動かされてるのか、いつもより少し饒舌だと思う。――本当なら、しゃべるより、カカシにこのままどすどすと頭突きでもしたいところなのだが。
「アンタでも怖いものがあるんだな」
「怖いもの?もー、この歳になって怖いものばっかりだよ」
「・・・例えば?」
「さっきのが昔の依頼対象にそっくりだったなとかさ」
「・・・アンタのジョークも怖えよ・・・」
カカシの言葉をジョークだと言いながらサスケはにこりとも笑わず、腕がすぐに動かなかったこともあって、今度は本当にカカシの肩口に頭突きをした。
どしっ
その勢いに押されるようにして背中を幹にもたれさせると、あたた・・・と、今度はカカシが笑った。
「笑えないかな」
「クソ面白くもねぇ。笑えねーよ。」
タチも悪いし、つっこんでほしかったらもっとましなことを言え。だいたいアンタはな・・・
淡々とした口調で続けられる言葉に苦笑しながら、カカシが謝罪の意味もこめてサスケの背中を撫でる。それにサスケは小さくため息をつくと、また、額をカカシの肩に押し当てた。とん、と軽い感触に、体の力も抜ける。
首筋にあたる風に冷えてきたなと思ったが、すぐに、さっきまではそこにカカシの頭が乗っていたことを思い出した。
そのまま、なんとなく続く言葉を失って、また小さくため息をつく。
――ざわざわと木の葉が擦れあう音がする。上からも下からも・・・、四方八方から聞こえてきて、どこで鳴っているかなんて判断できない。風のせいか、もう、カカシの心臓の音は聞こえてこなくて、カカシの存在を感じる目の前だけが静かだった。
風は少し肌寒いけれど、カカシの腕がまわされている背中や、カカシのシャツの胸に置いた腕や、肩口に乗せた額が・・・カカシの体と接している部分は、相変わらずじんわりと温かい。しばらくその温かさにだけ集中しているとまぶたも温かく重くなってきて・・・。
ほんの少し、と思いながらサスケは目を閉じた。
ふわふわと揺られる中、一瞬だけ、夢を見た。
どこかを睨んでいた母が、こちらを向くと、困ったように笑いながら言うのだ。
あなたは魅入られた子どもで、魔が曳かれるから、と。
(大きくなって、強くなれば大丈夫よ。それまでお母さんが守ってあげるからね。)
強くなるのよ。そう言って、母は祈るように手を握りしめた。その手には痛いくらい力がこもっていて、こちらの呼びかけに笑った母の顔は、泣きそうにも見えた。
そんな、実際にあったのかどうかも思い出せないのに、懐かしい感じのするあの母の言葉――。
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目覚めると朝で、ちゃんと自分の布団の中にいた。
見上げる天井は昨日の面影を少しも残しておらず、当然だが部屋の中にカカシの姿もなく、夕べのことは夢だったのではないかと思い始めたところだった。
・・・階下で目覚し時計が鳴る。が、止まる様子はない。
しかたないと思いつつ体を起こすと、かさっと音を立てて、ふちがぎざぎざした葉が枕に落ちた。
END