レースの森にて
そこは、白と黒ばかりの世界だった。いつからか自分が立ち尽くしている道には子どもが殴り書きをしたみたいな石がごろごろと転がっていて、頼りなくまっすぐ続いている。道の両側にはまるで饅頭のようにのっぺらとした丸い石が積み上げられた壁がそびえている。どのくらい高いのか、てっぺんは黒い空に溶けこんでいて確かめることができない。前方に見える道も闇の中に続いていて、それ以上先はわからない。後ろを振り返っても前に続く光景と同じだった。
・・・この風景の中には、黒と白しかない。灰色もない。
影となっている部分――光源はどこにもないが――は、手慰みに描いたような、ぐちゃぐちゃした細い黒い線でびっしりと埋められていた。それは前方の闇や空との境目も同じことで、明暗は、よく見るとその細い線が多いか少ないかで決まっているようだった。奇妙にねじれた風景、肌にひしひしと感じる圧迫感。あとから考えれば、子どもが悪意を持って描いた絵がこんなふうだと思ったかもしれない。
・・・なんだ、ここは。
やっとそう違和感を感じた瞬間、後ろから、と言ってもどちらが前でどちらが後ろなのかわからないのだが、何かが転がってくるような音がした。――音はしていない、足に直接その振動が響いてくる。
足元の振動は周りの空気に伝わって、自分を取り囲むすべてのものが蠕動を始める。ざわざわ・・・。世界を構成している細い黒い線が、意志をもっているかのように極々小さくうねっている。
急に何かの体内であるかのような様相を示してきた世界に、戦慄を感じ立ち竦む。――いや、恐ろしさに今立ち止まったわけではない。もともと歩いてはいなかった。と、何か大きな気配が迫ってきているのを感じて振り向くと、道幅いっぱいの、これも細い線で殴り描きをされたような巨大な丸い石がすぐそばまで転がってきていた。固まっていた身体が弾かれたように動き、逃げ出した。道に奇妙な石がごろごろ転がっているせいで何回も足をとられる。高くそびえたつ両側の壁に助けを求めることも出来ず、このまま潰されてしまうのかと体中が恐怖心でいっぱいになる。
はっと思い立ち、跳んでやり過ごそうと、高く、今まで跳んだことがないくらい高く跳躍すると、・・・石はそのまま体の下を通り過ぎてはくれずに止まってしまった。どこかで、やっぱり、と感じながら地面に降り立ち、瞬間また転がり始めた石から逃げる。時間が経つにつれ、世界は歪みを増していく。地面はゆらゆら揺れ、壁は膨らみ、自分の体も走っているのか立ち止まっているのかだんだんわからなくなってきた。いつからか、何かの警鐘のようにわぁんわぁんという音が響いている。
自分がどうなってしまうのか分からない恐怖に叫びだしそうになった瞬間、視界の隅に赤い花が一瞬見え・・・、突然現れた色彩に身体を強張らせると、それが顔の横ではじけてまるで血飛沫のような赤い液体が飛び散った。
頬に、冷たいのか熱いのか、刺すような刺激。
そして直後に巨大な岩肌の気配を背中に感じ―――、
「―――!」
サスケは息を詰めてぎくりと身体を震わせた。どきどきと鼓動が激しく、体が汗ばんで、頭が燃えるように熱かった。
・・・生きている。
熱い霧がかかったような頭で最初に感じたのはそれだった。ふう。ため息をつくと吐き出した息が顔を生ぬるく温めたままとどまり、頭を包む熱い霧の密度が増す。それから、身体が静かに上下に揺さぶられるのと、ざく、ざくと地面を踏みしめる音が体に響いてくるのを感じた。どこか霞んだままの意識に入ってきたのは、枕になっている色あせた葉のようなどこか懐かしい色と、白っぽい光。狭い視界はさっきまでの不吉なモノトーンではなく、穏やかな色合いに満ちていた。そのことに、戻ってきたという安堵と、なぜか、放り出されてしまったような心もとなさをぼんやりと感じながら、また目を閉じた。
自分の頭の重さが支える頬からじんわりと伝わってくる。「あー、降ってきちゃったなー」
・・・誰に向けられた声だろう。
のんびりとした、話す端から空気に溶けていってしまうような声音。頭のすぐ近くから聞こえてきたけれど、どこか遠い。なぜだかわからないけれど、そのまま答えないで放っておいたら、その声の主がどこかもっと遠くに行ってしまうような気がした。
怖い。もう置いていかれるのは――そこにひとりとり残されるのは――、嫌だ。頭の中でわんわんとうるさく鳴っているものがあって、考えがまとまらない。気持ちばかりが焦る。
「センセー、重くねー?」
姿は見えないけれど、すぐ近く、下のほうから明るい声が聞こえた。
答えてくれる者がいたことにほっとして、またため息をついて、重いまぶたを閉じた。
一瞬、今の会話は話がつながっていない・・・と考えかけたが、熱い頭の中でそれは曖昧なまま消えた。体が揺れる心地よい振動に身を任せていると、意識がだんだん薄れていきそうになる。頬に当たる布の感触にゆっくり息を吐いて、その湿った吐息が顔にまとわりつくのを感じながら、眠ってしまいそうになって・・・。「んー・・・、あったかいからヘーキ」
またどこか間抜けな、でも優しい声が聞こえてきた。よかった・・・。
さっき聞こえ方がおかしいと感じたのは、それが耳に届くのと同時に頬に直接響いてくるからだ。
―――あったかい・・・。そうだな、そう言われてみると温かいかもしれない・・・。ずっと暑いのか寒いのかわからなかったけれど・・・。ざくざくと下のほうで音がする。それも耳と体に同時に伝わるせいで距離がつかめず、現実感が薄い。揺れている自分の体。ふわふわと空気を漂っているような気分になる。でもそれはそんな気がするというだけで、実際は重い。なんだか熱くてしびれるような重さだ。
ふわりと、頬に何かが触れた。これも熱いのか冷たいのか判断がつかないうちに、その感触はどこかに消えた。何だったのだろうと目を開け、周りの風景がゆっくりと動いているのを見て、すこしずつ近づいてくる梢の1つにだんだんと焦点が合い・・・、サスケはやっと、背負われている自分に気がついた。
「!」
目を見開くと、視界いっぱいに白いものが舞っていた。
・・・雪だ。朝から降りだしそうだった雪がとうとう降り始めたのだろう。いったいいつ降り始めたのか、それは記憶にない。一瞬雪に気を取られて背負われているという自分の状況を忘れてしまいそうになり、慌てて――でもやはり常よりは緩慢に――意識を目の前に引き戻した。自分を背負っているのはカカシに違いなかった。声を聞いたときになぜ気づかなかったのだろう。ぼんやりして。・・・顔が熱い。あまりの恥ずかしさに、何か時間を巻き戻す方法がなかったかと一瞬真剣に考えてしまう。
・・・こんな、自分ひとり背負われて、子どもみたいだ。
取り返しのつかないことをしまったという気持ちと敗北感が苦く胸の中に広がる。今までの・・・、今までが・・・、無駄になったような。虚脱感に手足の力が抜けていく。
それを精一杯の精神力でもってこらえて、とにかく降りなくては、とカカシの背中から体を起こそうとした。「よいしょっと」
掛け声をあげてカカシが背負っている体の位置を軽く直した。そのタイミングに体の力が抜ける。一度そがれた勢いは、取り戻すのに最初のときよりも多くのエネルギーを必要とする。間が悪くて動くに動けない。それに、今気づいたが、体が、思うように動かない。カカシのその動作を見ていたのか、「先生、疲れたら言ってネ」とサクラの声がした。
それから少し間があいて、「サスケ君風邪かな」とカカシにまた話しかける声が聞こえた。それに「昨日から冷え込んでるしね」と答えるカカシの声が続く。サクラはともかく、カカシはオレが起きたことには気づかないのだろうか。・・・いや、たぶん・・・。
少し前のほうから今度はナルトが何かを言うのが聞こえてきた。カカシはそれにまた適当に答えている。
「大丈夫だろ。それより転ぶなよ〜」
ナルトはそのカカシの言葉に笑った。あいつの笑い声はうるさい。今も・・・、そう思いかけて、その笑い声がどこか遠く聞こえることに気づく。本当はもっと、うるさいはずなのに。時おり思い出したように交わされる会話。密やかな響きは耳のあたりをそっと撫でて、風と一緒にどこかに消えていく。
なぜか、胸が切ない。どうして、いつも聞いてるこの声を、懐かしく感じるのだろう。カカシの背に揺られて、3人の話し声をこっそり聞いて。・・・どうして涙が出そうになるのだろう。
息が詰まりそうな思いでいると、カカシが、顎までオーバーに覆われた体をぽんぽんとたたいてくる。それから小さく何かを呟いた。あとの2人には聞こえていないらしい。何と言ったのかよくわからなかったが、答える代わりに、なんとなく、頬をカカシの肩に押し当てた。振動にあわせて地面を踏む靴音の少しくぐもった音が頬に響いてくる。思考も揺られて重くほどけていく。膜がかかったような熱い頭。背中が痛い。
――自分はこんなに無力だったろうか。
なんだか本当に泣いてしまいそうなのを感じて、おぶわれているうえにさらに恥をかく気かと、こらえようとしたが――。
抑えこむのにはかなりの努力を要したというのに、息を吐いた一瞬の隙を突いて、視界がじわりと滲んでしまった。あっという間にこぼれた涙が頬をぬらし、頬のあたりまで包み込んだカカシのコートに吸い込まれる。声はかみ殺したけれど、息が詰まって苦しい。ただでさえ熱かった顔の温度が増す。苦しい・・・。
さく・・・と軽い余韻を残して、規則正しく聞こえてきていたカカシの足音が止まった。体を揺らしていた振動も止まる。
降りなくてはと思っていたはずなのに、・・・降ろされる予感に体がこわばった。見捨てられるような錯覚まで起こして体の中が冷える。しかしカカシは支える腕から力を抜くことはせず、ナルトとサクラに休憩するから先に行くようにと声をかけた。
「先生、アタシ代わる?少しの間だったら大丈夫だと思うから・・・」
サクラの気遣わしげな声がする。冗談じゃなかった。今の状況も丸めて地の彼方に投げやってしまいたいというのに、そのうえさらにそんなことになるくらいなら死んだ方がましだった。絶対、ここから降りない。決意を込めて、でもなかばやけくそになって、カカシの背中に張りつく。
カカシはそんな無言の圧力に気づいたのか、サクラのその申し出は断った。
少しほっとした途端、カカシに対して申し訳ない気持ちがしてきた。別に頼んだわけではないけれど、疲れさせているのは自分だった。もう、降りた方がいいのだ。でもせめて、このひどい顔がなんとかなるまで・・・。「すぐ追いつくから」
カカシはそう言うと、もう一度ナルトとサクラに先に行くように言った。2人の足音が遠ざかったところで、カカシが静かな声を出した。
「サスケ、お前はね・・・、」
あのね・・・、と言ったきり、カカシはそのまま黙ってしまった。何を言いたいのかよくわからない。静かだったが、・・・静かだったから、その言葉に込められている感情も読めなかった。
何かを言わなくてはいけないと思ったが、何も言うことができない。口を開けたらいまいましい嗚咽のほうが声よりも先に出てしまいそうだ。少しの間をおいて、いつから熱があったのかとか、どうして言わないのかとか、自己管理も任務のうちだとか、カカシがぽつぽつと言う。その全てに答えたかったが、やはりどれにも答えられなかった。改めて、泣いてしまったことがどうしようもなく悔しくなり、きつく唇を噛む。
自分の情けなさに対する苛立ちの矛先は、自分自身と、それからカカシに向けられた。
一瞬殺意のような大きな感情がわきあがり、自分も、カカシも、何もかも全てめちゃめちゃに壊したいと心の底から思った。しかしすぐに、その激しい感情は熱い頭の中でうやむやにされて、どこかに溶けていってしまった。
今は、それの残り火のような何かだけ、胸の中に渦巻いている。それに激しさはないが、しつこく胸でくすぶっているのを感じる。頭には熱く靄がかかったようだ。何かを考えようと思っても、靄の向こうからわぁんわぁんと鳴る音に遮られて、わけのわからないままにどこかに行ってしまう。
自分の状態がどうなっているのかも見失い、途方にくれて、涙と解けた雪が顔の表面を伝っていくのをただじっと感じる。雪が降って・・・。
ずっと見るでもなく見ていたが、だんだん激しさを増していく雪を眺めているのは、実際、悪くなかった。
――これはどこから降っているのだろう。
もちろん空だということは分かっているが、それはどれくらい遠いところにあるのだろう。今まで混乱していたことを一瞬忘れ、ぼんやりと空を見上げようとする。
途端、カカシの掛け声とともに、また体の位置が微妙に直された。そしてカカシの上半身が傾いたと思ったら、頭のてっぺんを撫でられた。「なに・・・、」
「いいから、もう少し寝てったら」よしよしなどと言いながら、カカシが頭を撫でる。振り払おうにも手はカカシのオーバーの中に厳重に包まれていて、動かない。それでも抵抗しようとすればできただろうが、それはカカシが大変だろうと無意識のうちに思い、じっと撫でられる。それに、相変わらず全身が重く、腕を動かすのでさえだるい。
そういえば、撫でてくる手にいつものあつかましさが感じられない。・・・何を気を使っているのだろうか。胸に渦巻いていた何かはいつの間にか曖昧になってどこかに消えていた。代わりに笑い出したくなるような何かが、腹をくすぐる。それをごまかすように、カカシが撫でるのをやめさせる意味合いもこめて、言う。
「ナルトたちが待ってるんじゃないのか」
「ん?」
うーん、と、カカシは何も考えていなさそうな声でうなると、撫でるのをやめて背負っている体の位置をまた直した。再び聞こえてきたさくさくという音とともに、ゆっくりと体が揺られる。まるで重い温かい波の中にいるようだ。さっきの自分の声は少し涙声ぽかった気がしたが、思い出そうとしている間によくわからなくなってしまった。
そして今になって気づいたが、カカシの背中は意外としっかりしている。猫背のクセに。
いつもは触れもしないその背中が、こんなに近くにあるのは不思議だった。・・・次にこの背中に触れるのはいったいいつになるのだろうか。
ぼんやりと、そんなことを思いながら目を閉じる。目を閉じるとすぐに意識は霞んできた。いろいろ考えるのはもう面倒くさかった。泣いたせいか、目元がずきずきと熱い。生温かく湿った空気も、まだ顔にまとわりついているような気がする。よく聞くとぱさぱさと雪が降っている音がする。雪足はだんだん強くなっているようだった。
絶え間なく頬に当たる羽根のような感触の雪が、冷たくてなんだかくすぐったい。それらはすぐに解けて頬を伝い、カカシのオーバーのふわふわした裏地を湿らせる。ときどき乾いた涙を連れて口の中に水が染み込んでくるが、その少し苦い味も不愉快ではない。
うっすらと目を開けて空を見上げると、真っ白な空から大粒の雪が無数に落ちてくる。カカシの背に揺られながら、雪が落ちてくるのではなくだんだん自分が空に上っているような錯覚を起こして、少し怖くなった。ふわふわと、まるで夢の中にいるような気がする。
不意にさっきの夢の残像がまぶたを掠めてまたなんとも言えない気分になった。頭と体が熱くて重い。だが、神経は少し高ぶっている。・・・それらを全部ひっくるめて、なぜかずっとこうしていたいような気持ちになった。
きっともうすぐ里に着くだろう。
それまで眠っていても構わないだろうか・・・。
END
2001/02/11
ブラン*10000HITの瑞穂さまのリクで、「普段の任務や生活プラス雪」のカカサスでした〜!!
・・・って、今はいったいあれから何ヶ月たっているのでしょう!!
きゃー、ほんとにほんとに遅くなりましてすみません!!(><) 初雪が降る前に書き始めたのに・・・。かかる時間と出来は正比例しないといういい例です。瑞穂さんのイメージとは全然違うし、時間がかかりすぎて何を書こうとしていたのかわからなくなるし、自分でも「だからなんだ」と言いたくなるような内容で・・・。でも思い入れはあるんです、どうかお納めくださいませ〜!!
瑞穂さま、リクエスト、どうもありがとうございました〜!!(無理やり!?)さらに蛇足ですが、カカシverのフォローもあったりします。わけの分からない話がさらに分からなくなるだけですが・・・(←そういうのはフォローとは言わない)、お読みいただけると嬉しいです。
>>>宙(ソラ)に手を