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任務が終わって、サスケがいつものようにひとりで訓練をしている時のこと。
ひとしきり体を動かしてから、いったん体を休めるためにサスケは木の下で術書を読む。体を休めるためとはいえ、ただぼんやりと過ごすことはしない。時間を無駄にするのは嫌いだった。ひとつでも多くの技を少しでも早く身に付けなくては。
サスケは巻物をするするとほどきながら、そういえば、と手を止めた。
サバイバル演習のときにナルトがやっていたあの術は何だったのだろう。分身がすべて実体だった。あんな術ははじめて見た。あの時はカカシにいいように利用されて結局役に立ってはいなかったが、使いようによってはかなりの力になる。ナルトがどこであのような術を習得したのかはわからないが、あの術は自分には出来ない。
そう思って感じる、焦燥感とかすかな敗北感。
ちっと舌打ちをしながら意識を巻物に戻し、またするすると少し広げて見る。
巻物の字を目で追いながら、ふと、ナルトに関してもうひとつ、自分がやったことのない術があるのに思い当たった。
あの、ふざけた術・・・。
アカデミーでイルカに鼻血を吹かせていたシーンを思い出し、自然とサスケの顔は呆れたようなものになる。なんなんだ、あれは・・・。
そういえば、嘘か本当か知らないが、火影をあれで倒したらしいという噂もある。噂というか、いつかナルトが自分で自慢していたのだ。
あのふざけた術のことを本人はお色気の術などと言っているが、ようするに変化の術だ。裸の女に変化するだけ。変化の術なら自分にだって十分できる。
そこまで考えてなぜか安心し、また巻物に思考を戻す。
・・・もし確実に出来たとしたら何かの時に役に立つかもしれない。
何かの時という状況がいったいどんなものなのかは思いつかなかったが、ふとそんな考えが頭をかすめる。
いや、絶対使うことはない。そんなことを考えたことに驚いて、小さく頭を振る。
・・・使っても使わなくても、できるに越したことはない。・・・やってみて損はない。
ほんとにこんな術を使う気はさらさらないのだが、術と名のつくものはとにかくやってみたいらしい。そんな自分に、サスケは口元だけ歪めて自嘲気味に笑う。
とにかく、できるのかどうか確かめるだけだ・・・。人前では絶対使わない。
できることさえ確かめれば、もうそれで十分なのだから・・・。
いざやってみようと思うと、「お色気の術」というのは、なにか自分を納得させる理由でもないととても挑戦できることではないということがわかった。なにか、これまでの自分の生き方に対する挑戦のような気さえしてくる。
道理でナルト以外にこれを使ってみようとする人間がいないわけだ。
「お色気の術」が使えること自体よりも、この術を最初にやろうとしたナルトの破天荒ぶりに改めて感動のようなものを覚えながら、サスケは服についた草を払って立ち上がった。
(ここまで純粋に感心されていることを知ったら、ナルトはかえって傷ついたかもしれない・・・)
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あたりに人影がないのを確認して、特に神出鬼没のあの上忍の気配に関しては神経を尖らせて、変化したい姿を頭に思い浮かべる。
実際に目の前にいる人物に変化するのは簡単だが、頭の中のイメージだけで変化するのは難しい。よっぽど細部までイメージできていないとうまくいかないのだ。
・・・女の裸・・・?
ぼふぅん。
もうもうと上がる煙越しに変化した自分の体を見下ろす。
確かに女性に変化したはずなのだが、思い描いていたのとは少し違った。女性というよりも、女の子だ。手も足も細く、すとんと上から下まで凹凸がない華奢な体つき。それに、色は明るかったものの服を着たままだった。アカデミーのくノ一クラスに何人かいたような、ほとんど少年といってもいいような体つきだ。
誰に似ているというわけではないが、くノ一クラスの少女たちを足して人数分で割るとこんな感じになるのだろう。
顔はどうなっているのかわからなかったが、体から想像すると、色気のある顔にはなっていないに違いない。
もう一度。
ぼふぅん。
今度も、やはりどこか違う。
さっきの反動か、今度は肉付きがよすぎて、つま先までどっしりしている。そしてその服装には見覚えがあった。どこで見たものだったかを記憶の中から探り出して、サスケはがっくりと肩を落とす。これは毎朝通りかかる雑貨屋の太った女主人だ・・・。
その女主人には悪いが、これではおそらく何の役にも立たない。
2回とも失敗して、サスケの眉間に自然としわがよる。
・・・イメージが湧かない・・・。
なんとなく脳裏を掠める姿を追って変化してみるのだが、どうもうまくいかない。
頭をよぎるのはアカデミーにいた少女たちや、近所の中年の女性ばかりだ。
自分の中の女性像はこんなに貧困だったのかということを発見して、サスケは思わず舌打ちをする。ナルトが変化するようなあんな女性の姿など、イメージしようと思ってもなかなかできない。見たことのないものに変化するというのはやはり難しい。それにしても、ナルトはいったい誰をモデルにしたのだろうか。
ぼふぅん。
それでも諦めることが出来ず、というよりは出来ないとわかってから意地になってしまったのだが、また変化する。何度か失敗して、今度は少しうまくいったろうか。
煙越しに見える自分の体は、柔らかい曲線を描いた女性のものになっていた。ちゃんと、と言っていいものかよくわからないが、一糸もまとわない姿で。
手も、見下ろした足も小さく、指は細くて、その先の爪はうっすら桜色。細部までいかにも女性らしい感じだった。
顔は見えないからなんともいえないが、とりあえず「お色気の術」を自分でも使えるらしいことに満足した。これでもういい。この術はもうやらない。人に見せることはもちろん、自分ひとりの時にもやることはないだろう。
ただ、変化の術はもう少し研究の余地を残していると思った。想像上の人物に変化するのは思っていたよりも難しい。
・・・いや、それよりも、足りないのは人間観察かもしれない。
いずれにせよ、より完璧を目指さなくてはと思いながら、もう、ほんの一瞬で術を解こうとしたその時。
「・・・何してんの」
突然の声に驚いて、一瞬息が止まる。
このあたりには誰もいなかったはずだ。それに、近づいてくる気配もなかった。
自分のことながら妙なことをやっているという後ろめたさが、驚きで頭に上った血を、またさぁっと引かせる。
そういえば聞き覚えのある声に、ばっと振り返ると、すぐそこの木に凭れかかっていたのはさっきまで一緒に任務を行っていた、7班担当上忍のカカシ。やっぱり、という思いと、よりにもよって1番見られたくない相手に見られた、という思いで、サスケの青ざめた顔がさらに強張る。
ぐわぁ!
思わずしゃがみこんで腕で体を隠すと、心の中で叫び声を上げた。
そしてなぜこんな格好の、しかも裸のときにくるのだろうかと、見られないことをいいことに思いっきり顔をしかめる。しかしそれも一瞬のことで、サスケははっと我に返ると、煙が完全に消え去ってしまう前に元の姿に戻ろうとした。
・・・が。
・・・戻れない。なんで!?
こんなことをやっているのをカカシに見られて動揺しているうえに、焦れば焦るほど気は乱れて、解けてくれればいい術は解けなくなる。とりあえずここから逃げてしまえばいいという考えも思い浮かばないほど、サスケは恐慌状態に陥った。
なんであんなタイミングで声をかけるんだよ!恥ずかしさと怒りとが、自然とカカシに向かって口には出さないが悪態をつく。
ばかやろー!ふざけんなー!!
・・・甚だ理不尽な怒りだと思ったが。
それがカカシに聞こえたわけではないだろうが、かさかさと草を踏む音を出してカカシが近づいてくる。
「ぎ、ぎゃー!!来るな!!バカ!!」
「うーん」
「来んなっつってんだろ!」
「見られるのがいやなら術を解けばいいんじゃないの?なんで戻らないわけ?だいたいさー、何やってんの?」
「知るか!」
カカシは疑問をとりあえず口に出しながら、女性の繊細そうな背中をさらしてしゃがみこんでいるサスケに近づいた。
そのまま一瞬の間があく。
不審に思ったサスケがカカシを振り返ろうとした時にぽふっと何かが体にかけられた。オリーブ色をしたカカシのベストだ。
「・・・とりあえずそんな姿人に見せてるわけにいかないでしょ・・・」
なんでか知らないが、女性の姿、しかも裸に変化したはいいものの戻れなくなってしまったらしい、とカカシは見当をつけた。忍術には精神の乱れの影響が顕著に表れる。ちょっと悪い時に声をかけちゃったかなと、半分は確信犯のくせにそう考えたりする。
おどかしすぎたかな。
サスケはカカシのベストを見てしばらく何事かを考えていたが、チィと舌打ちをすると、ごそごそとそのベストに腕を通した。
その仕草は男の子のままで、カカシは思わず苦笑する。完璧に化けても振る舞いがらしくないと変化の術は完璧とは言えないけれど、今それを言っても聞く余裕はなさそうだ。
「なんだよ」
カカシの押し殺したような笑い声が聞こえたような気がして、サスケがむっとした声を出しながら立ち上がった。頭ひとつ分は大きいカカシを睨みつける。
女性に変化したサスケはふだんよりもっと年齢が上のようで、身長がいつもより高い。おそらく肩までには届かないだろうが、並んでみるとちょうどいいかもしれない。・・・ちょうどいいって、何が?とすかさず自問自答して、カカシは今考えたことは丁重にお引取り願って、結局なかったことにした。
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困惑と不満の色を浮かべてカカシを見上げているサスケの顔に、ぽたっと一滴しずくが落ちた。
二人で空を見上げると灰色の空からぱらぱらと雨粒が落ちてきた。
「あ〜、降ってきちゃったなぁ」
カカシはそう言ってサスケの顔に視線を戻して、改めて驚いた。
よく見ると、女性の姿に変化したサスケは、その面影を残しつつ、サスケとわかっていても見とれるくらい、・・・美人だった。
薄い陶磁器で出来ているような滑らかな肌。ぬけるように白い皮膚の下に血管が透けて見えそうだ。優しい印象の額は、緩やかなカーブを描く眉につながっていて、その下にはアーモンド形の大きな目がある。こぼれ落ちそうなくらい大きい真っ黒な瞳は、洗いたての葡萄のようにわずかに濡れている。それに、うっすらと桃色の頬に、ばら色の唇。滑らかで柔らかそうな頬には本物の桃のようなうぶ毛が生えていて、なんとも優しそうな感触を想像させる。
これは・・・。
表情にこそ出なかったものの、カカシは内心激しく動揺していた。
これまで女性を外見で判断したことはなく、自分では割合と内面を判断基準にしているという自覚がある。もちろんきれいなものはきれいだと思うが、いわゆる面食いでは全然ない。
ついでに、どんな女性にもその人なりの良さがあって、そういうのが醸し出す雰囲気が好きだった。
理想の女性というものについては特に考えたことはなかったけれど、もし理想の女性像が自分でも知らない心の奥底に隠されているとしたら、それはこんな感じなのではないだろうか・・・。
こんなに美しいものを見たのは、久しぶりだとカカシは思った。
美しいものはただそこにいるというだけで、人の心になんらかの波を起こさせるものなのだ。
自分に限らず、どんな男もこれには降参するしかないのではなかろうか。
加えてサスケが変化した女性からは、女性特有のある種の匂いのようなものがストンと抜け落ちて、不思議な透明感をまとっていた。
それなのに、・・・それだから、なのかカカシには判断がつかなかったが、反対にひどく扇情的でもあった。
煽られるままにめちゃくちゃに壊してしまいたいような、それとは反対にそよ風にも傷ついてしまいそうな繊細そうな体をそっと腕の中に包み込んで守りたいような、相反した気持ちを同時に抱かせた。
女の色香に騙されるのもたまにはいいな、などとのんきに思ったりするけれど、だからと言って完全に引っかかってしまうことは今までなかった。それがどんなに美人だと思える女であっても。
でも、これは・・・。
ぼぉっと見とれていると、ばら色の柔らかそうな唇がうっすらと開けられた。
「・・・なんだよ」
そこから発せられた声音はイメージしかかっていたようなものではなくて、声自体はやや高くなっていたものの、口調はサスケのままのぶっきらぼうなものだった。そのイメージとのギャップに勝手にめまいを覚えながら、ため息をつく。今のため息がいったいどういう意味を持っているのかは、カカシ自身にもわからなかった。
でも、まあ、とにかく。
「じゃ、帰ろうか」
サスケがいぶかしそうな顔でカカシの顔を見つめる。
「・・・送るから」
サスケが露骨にはぁ?という顔をする。
ベストを借りることに関しては、悔しいが仕方ない。いくら変化した姿だとはいえ、裸でうろつくわけにはいかないのだから。でも人目につかず帰ることくらい十分できる。
それを読み取ったかのように、カカシが言葉を続ける。
「いつも通りになんて動けないよ。ま、誰かしらには見られちゃうね」
サスケがこの姿でいることを見られたくないのか、それともこの女性を見せたくないのか、カカシ自身よくわからなかったが、とにかく、誰の目にも触れさせたくないと思った。前者であるといいな〜と、自分のことながらのんきに、でも深く考えなくてすむように、いい加減なことを思い浮かべた。
放っておいても、サスケならきっとなんとかして帰るのだろう。変化が解けるようになるまで、どこかに身を隠していることだってできるのだし、別に送っていく必要はないのかもしれない。でも雨が降ってきたらどうする?やむまで身を潜めているなんて時間の無駄だ。この様子だと、いくらもしないうちに本降りになるだろう。それに、どうせ帰る方向は一緒なのだし・・・。
少し迷った挙句、やはり今送っていくことに決めて、サスケを促す。
「お前がそんな姿でいるのを見られて、恥をかくのはオレも一緒なの」
部下なんだから、と言葉を続けながら少し意地悪だと自分ながら思い、サスケ扮する女性が悔しそうに唇を噛むのを見る。それは自分を納得させるための言葉でもあったのだけれど。
そうとは知らないサスケの頬がますます赤くなり、眉がしかめられ、心持ち目が潤んだ感じがする。そのままの表情で、サスケがカカシを上目遣いで見つめてきた。―――正確に言えば睨んできたのだったが。
・・・頼むから、そんな顔で見ないでほしい。
カカシはなるべくさりげなく顔をそらすと、まだこちらを睨んでいるであろうサスケに言った。
「どうせなら本格的に雨が降る前に帰るぞ」
そう言うとカカシはさっさと歩き始めた。サスケは迷っている暇もなく後を追う。
確かに、いつ戻れるのかわからないまま身を潜めているよりいいかもしれない。雨が降り始めている今、いつもと違う体で思い通りに事を運ぶのは難しいだろう。裸だったらなおさらだ。
それにしても、なんでこんなところをカカシに見られてしまったんだろう。
悔しい気持ちがすぐにわいてきたが、それでも立ち止まらずにサスケはカカシの少し後ろを歩くことにした。
空は今すぐ大降りになってもおかしくないような、重苦しい鉛色をしていた。
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