まがあなたにひかれるから
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――母はこの世ならぬものを見る人だった。
そんなことを急に思い出したのは、夜中にふと目が覚めて、なんとはなしに眺めていた天井の木目が何かの顔のように思えてきたからだ。
――母は美しい人だった。
・・・その母に、小さいころはよく似ていると言われた。
が、自分ではよくわからなかった。今考えてみても似ていると思うのは黒い髪と黒い目くらいだ。それは、親子だから多少似ていたかもしれないが、それでも本当は大して似ていなかったような気がする。と言って、記憶はもう、おぼろげだが。
何より違うような気がするのは、人間を動かしているエネルギーの源というか、中心を象っている核のようなものだ。うまく言葉にできないが、アカデミーでだったらそれを肉体と対をなす精神そのものとでも言っただろう。母はそれがきれいだった。内から光が出ているように輝いていて、子どもの贔屓目でもあったかもしれないが、今思っても確かに美しかった。
身も心も美しかった母は瞳も夜空を映しこんだようにやはり美しく・・・、・・・だが、その母の目は住む世界を異にした不思議なものを捉えることもあったらしい。そんな時、いつも母は小さかった自分をかばうように抱きしめて、どこか一点を見つめていた。抱きしめられているというのにそういう時の母はどこか遠く、不安だった。自分には見えない何かを見ている母の横顔はどこかさみしげで、黒い目だけが昏く炎が燃えるように揺れていた。
いったい何を見ていたのだろう。見たいと駄々をこねた自分に見えないほうがいいのだと笑って、とうとう教えてくれないまま・・・、彼女もまた往ってしまった。
――・・・・・・。
懐かしい面影を夢うつつに追いながら天井を眺めていると、天井の木目がゆらりと揺れた。
ゆらり、ねえ…。
無意識のうちにある人間の口調のまねをしてぼんやり心の中で呟いて、一瞬後にはっとした。が、すぐに部屋の隅に小さく灯る明かりの加減だと思い直して・・・、そしてまた、すぐに体を硬くした。
いくら人里離れているとはいえ、この家にもちゃんと電気が通っている。眠る前に点けた時、部屋の隅の明かりも電気だった。
・・・それが、あんなふうに揺れるか?
それならば目の錯覚だろうと自分に言い聞かせるが、なぜかそこから目が離せない。それに、よく見てみると周りはそこほどはっきりと顔のようには見えない。そこだけ、何か違う。それに、木目がじわじわ大きくなっているようにも見えるのは・・・、気のせいじゃないのか。
――「木の葉の幽霊屋敷」。こんな時に思い出さなくてもいい名前が頭に浮かぶ。
まさかまさかと思いながらもじっと見つめていると、それがまた揺れた。
今度ははっきり見えた。・・・木目が人が笑うようににやりと笑った・・・。
・・・・・・そして、まだ笑ってこちらを見ている。
サスケはがばっと布団を跳ね上げると、いつにない混乱に汗を流しながら部屋から飛び出した。
それでも夜中にどすどすとうるさいのは無作法だと、足音をたてないように階段を駆け下りる。
だが、階段を下りきって廊下にカカシの部屋の明かりが薄く差しているのを見て、少し頭が冷えた。慌てて部屋から出てきてしまったが、その後どうするかなんて考えていなかった。
だいたい自分は本当にあれを見たのか。寝ぼけてまだ夢の続きを見ていたか、それかやはり単なる目の錯覚だったのではないか。明かりが点いていたとはいえ、自分が見間違いをしてもおかしくないくらいには暗かったのだし。
・・・だがやはり、部屋に帰る気はしない。心臓はまだどきどきいっている。
どうしようかと思っているうちに、サスケはカカシの部屋の前まで来た。部屋の戸は10cmほど開いて、中の暗いオレンジ色の光がうっすらと洩れている。
カカシは起きているだろうか、寝ているだろうか。
いずれにせよ、カカシに面倒をかける気はない。が・・・、困った。部屋には戻りたくない。
しばらく迷った末に、ドアのノブに手を伸ばしかけて、やはり思い直して指が止まる。・・・なんだかさっきとは違う緊張で考えがまとまらなくなってきた。
ふいに右手でキィと音がして、体がびくっとすくんだ。そしてすぐにパタンと小さくドアが閉まる音がして、廊下に白い影が現れた。
そして、あれ〜?とあくびをしながらのような声を出して、白いものが足音もなくこちらにやってくる。
「サスケ?」
どうしたの、と、またあくびをしたのはカカシだった。一瞬また幽霊かと驚いたものの、カカシだったことにほっとして体の力を抜く。・・・トイレに行っていたのか。
・・・だが、どうするかと迷っていたのに不意をつかれて、さらにどうしていいかわからなくなる。
「眠れないの?」
「・・・」
そこで、幽霊がいるから部屋にいられない、などとはとても言う気にならず、サスケは曖昧にうなずいた。
きっと今の自分は変な顔をしているに違いない。表情をいくらかでもごまかしてくれる暗闇に少し感謝して、そばまで来たカカシをちら、と見上げる。その視線に応えてか、カカシはのんびりと笑っているような表情で、「オレもなんか目が覚めちゃってさ〜」と言う。
その声がなぜかやたらと温かく体に響き、なんだかひどく安心してしまった。
・・・これはちょっと予想外だった。普段得体が知れないなどと思っていることは忘れて、カカシが起きていて、会えてよかったと、おおげさではなく思う。ついでに少し泣きそうな気分になったが、それはいくら何でも気が弱くなりすぎだろうと、気持ちを落ち着けてこらえた。
・・・そうだ、そんなおかしなものを見るわけがない。慣れない部屋で落ち着かず、きっと自分は何か見間違いをしたのだ。言えばカカシもきっとそう判断するだろう。
でも、やっぱり怖い思いをしたのだと、言ってみようか。言ってどうしたいわけではない、ただ、今なら言ってもいいような気がするのだ・・・。
「怖かった」と一言。きっとカカシは笑わない。
――と、声を出す前に、何か、音がした。
・・・キシ、
捉えた微かな音に、耳の神経がざわざわする。空耳か、それとも・・・。
・・・カカシの足音ではない。そのカカシはもう立ち止まっていて、口を開いたまま黙ってしまったサスケの顔を、「ん?」と笑いながら見下ろした。
聞こえなかったのか。・・・やはり空耳だったのか?さっきみたいに、また何かの錯覚だろうか。古い家だから家鳴りだという可能性もある。
が、そうは思ったもののやはり動けず、カカシの顔を見つめたまま息を潜める。
・・・・・・・・・キシ、
・・・・・・・・・・・・・・・キシ、
空耳ではないと分かった瞬間、体中に鳥肌が立った。何かの足音・・・、移動している。今度はカカシにも聞こえたのか、笑いが消え、普段は眠たげな目が全開まで開かれていた。
家主が驚いているということは、これはやはり普通でないことなのだ。だが、珍しいこともあるものだと感慨に浸ることもできず。
2人は見つめあったまま、するはずのない足音にだけ神経を集中させた。
音は、一定の間隔を置きながら、階段を下りてきているようだ。そして階段を下りきってしまった後玄関の方には行かずに、・・・やはりというべきか2人の方に曲がってきた。
「・・・アンタの後ろから何か来てる・・・」
「うん・・・、・・・何か見える?」
うまく声が出せない。それでもやっと囁いた声が、今は家の中にやたらと響く気がする。カカシが答える声もだ。
だがそんなことを気にしている場合ではなく、古い床を踏むような音は、カカシのすぐ後ろ・・・あと3歩というところまで近づいてきていた。決して暑いわけではないのに、汗が冷たく背中を伝う。
「・・・見えねぇ、けど、か、カカシ・・・」
さっきの何かが、自分を追いかけてきたというのか。いったい何なんだ。
追いつかれたらどうなるのか、先が見えぬ恐怖に、逃げようにもサスケの足はもう完全に竦んでしまっていた。これがひとりの時か他の人間とだったらまだなんとかできたかもしれない。が、今は、さっきの安心感が邪魔をして、かえって頭の中がごちゃごちゃしている。
・・・体はどうやって動かしていたのか。この状況から、どうしたら、いったい・・・、
キシ、
叫びそうになったが、声も出なかった。
だが、その1歩近づいた音が合図だったかのように、カカシが動いた。
カカシはもと納戸の寝室のドアの前で動けなくなっているサスケをすばやく抱きあげると、後ろも見ずに勝手口に向かって走り出した。
さすがは上忍と言うべきか、暗闇の中どこにもぶつからず(サスケをぶつけることもなく)、しっかりサンダルをひっかけて、一瞬のうちに勝手口から飛び出した。
・・・が、ドアを閉めていく余裕はなかったらしく・・・。勝手口は全開なまま。
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